ドーナツホールから見える宵闇

なんとなく思ったことを書いてます

どんな世界が見えるのか

以前の記事にもチラっと書いた自称・霊感の強い先輩。

その先輩曰く、幸運な人はおでこに第三の目が開いているとのことだった。

思わず「飛影(幽遊白書)みたいなことですか?」と聞いたら

三つ目がとおるみたいなこと」と返された。

比喩に違う比喩が返ってきたので、

私たちの間には一瞬お互いを探るような沈黙が流れた。

家に帰って調べたら『三つ目がとおる』とは

手塚治虫さんの描いた漫画だということがわかった。

まあ、大体同じなのかな?

おでこの目が開いたら本領発揮みたいな。

その先輩は第三の目が見えているらしく、「宵闇の夜はまだ目がない」とよく言っていた。

それで考えたんだけど、

その先輩からしたら目が3つある人が

普通に街を歩いていることになる。

それってどんな光景なんだろう。

そもそも、幽霊が見える人は

街の人口が増えて見えているということ?

本当は空いている電車が満員に見えるとか?

見てみたい気もするけれど、毎日それだと疲れそう。

この人は生きてる。

この人は幽霊。

この人は第三の目がある!って感じ?

見分けるのが大変そうだ。

 

私は一度も幽霊とやらをちゃんと見たことがないんだけれど、

もし見える人がいるなら教えて欲しい。

世界はどんな風に見えているの?

 

「いつもの」への憧れ

行きつけのお店を作ってみたい。

定食屋でもカフェでも焼き鳥屋でも何でも良いんだけど。

顔を覚えてもらって、欲を言えば名前も認知されたらハッピーだ。

 

あ、待って。ちょっと疑問が生じた。

プライベートで知り合った人に名乗る場合、苗字を伝えるべきか下の名前かフルネームか。

どれが良いのだろう。

苗字だけだと仕事っぽく感じるし、「名前教えたくありません」と思ってる?って勘違いされたくない。

かといって「下の名前で呼んでね♡」ってのは図々しい?

フルネームで答えると相手にどう呼んだらいいのか悩ませてしまいそうな気もする。

うーん、自分は相手の名前を聞く時は下の名前が返ってくることを想定しているんだけど、みんなはどうかな?

 

ドラマとかだと雰囲気の良いお洒落な個人店に主人公が行って、そこの店長とかに恋愛相談をする…みたいなシーンがよくあると思うんだけど。

あれはやっぱりフィクションですか?

飲食店で働いた経験がないので分からない。

お客さんの顔ってどれくらい覚えているものなんだろう。

 

コンビニでアルバイトをしていた事があるんだけど、体感で週に3回くらい顔を合わせるお客さんは覚えていたように思う。

毎回来るような人なら軽く世間話はしたかな。

 

煙草を買っていくおじ様達の中には500円玉をポンと出して(当時は500円以下の値段だった)「いつものね!」と言う人がいて、それが中々難しかった。

煙草を吸わない身としては、まず銘柄を覚えるのに必死。

さらに1mgだとかメンソールだとかロングだショートだソフトだのと同じメーカーの中でも種類がいっぱいある。

それなのに「いつものね!」と言われた時のプレッシャーったら。

確かにこのおじ様は良く来てくれているけれど、

煙草だけ買っていくお客さんは多いから把握しきれていないのだ。

多分…この、星のやつだった…か?と首を傾げながら選んで差し出すと大体外す。

「違う違う!マイセン!」とか言われて、

まぁマイセンなんて銘柄ないのよね。

マイルドセブンがなぜか略されちゃう。

マルメンね」と言われた時も途方に暮れた。

マイルドセブン→マイセン』 わかります。

マルボロメンソール→マルメン』 ええー。

という感じだ。メンソール部分まで略しちゃうの?と。

トライアンドエラーを繰り返し、「いつものね!」に正解した時はガッツポーズするくらい嬉しかった。

 

あの時は「いつもの」が苦手だったけれど、今は「いつもの」と言いたい気持ちがわかる。

言葉を交わしていなくても、自分の存在を覚えていてもらえるのはすごく嬉しいのだ。

 

 

不適材の経験

小悪魔agehaが流行っていた時代、小学生のなりたい職業ランキングでキャバ嬢が上位にいた時代、多分に漏れず私も憧れた。

知り合いの紹介ということで地元の小さなキャバクラで働かせてもらった事がある。私が単体で面接に行っても不採用だったと思うが、そこはほら、紹介なので。

週に2日しか出勤しないし、学校の卒業までという約束で入り1年も在籍していなかった。

実際に働いてみて想像と違ったのは、まずキャストの女の子はみんな優しいということだ。

もっと派閥とか成績上位者には逆らえないような決まりがあるのかと思っていたけれど、全くそうではなくて。

みんな程よい距離を保っているように見えた。まさしくビジネスライクという感じ。

同じテーブルに着けば一緒に盛り上げなくてはならないし、酔った人に失礼な事を言われるような経験も同じくしている。自然と仲間意識が芽生え協力的だった。

それでもナンバー1~3位はさすが別格!!という雰囲気があったけれど。

 

その代わり?と言っていいのか分からないが、スタッフさん達との距離感は果てしなく遠かった。

マネージャーやオーナーはよく女の子達に労いの声をかけてくれたり、笑い話をしてくれたりもしたが、厨房の方やホール内でドリンクを運んできてくれる方達は皆よそよそしい。

 

私は慣れないドレスやヘアメイクをしてもらえるのが嬉しくて、そのために働いているようなものだった。

今にして思えばそんな浮ついた気持ちでテーブルについて本当に申し訳ありませんでした。

学んだことは“気づかい”とは奥が深いという事と、知らない人と話をするのは本当に難しいという事だ。相手がこちらに対して好意的でなければ尚更。

私はそこまでひどい事を言われたりはしなかったけれど、あからさまに背中を向けられてしまったり、名刺を受け取ってもらえず困ったことはある。

私の未熟さ故、仕方ないと思う時もあれば、席に着いて一言目に「俺、水商売の女って嫌いなんだよ」と言われると「この人ここに何しに来たんだろう」と不思議に思う事もあった。

嫌いな水商売の女がいるお店に来て、お金を払って、文句ばかりつけて帰っていく。

なぜわざわざそんな不愉快なことをするんだろう、と。

それでも「私も一杯頂いて良いですか?」と聞けば断られる事はなかったので、なんだかんだお客さんは優しい。

 

お酒の席は今も苦手だけれど、時々あの夜たちを思い出す。

テーブルのグラス、銀色のアイスペール、スタッフさん達と交わすハンドサイン、タバコの匂い。

送りの車内のエアコンの風、疲れて眠る隣の女の子のネイル、夜更かしで疲れ切った体、名刺、ライター、アルコール。

 

適材適所という言葉で考えると、間違いなく私は不適材だった。それが分かっただけでも大きな収穫だ。

今振り返ると、自分があの空間にいた事が不思議になる。

夢だったんじゃないかな。なんてね。

 

 

私にとってのブログは・・

ねえ私気付いてしまった。

私たち、交換日記をしているんじゃない?

 

小学生の頃に流行った、交換日記。可愛いノートに今日あったことを書いて次の子に渡す。2人でやり取りする事もあれば、数人のグループでやることも。

私はそれが楽しくて色んな子と交換していた。

大体は途中で飽きたり、喧嘩して自然消滅したり、グループの誰かが止めてしまって終わったり。

相手が同じクラスの子だと、授業も同じで放課後も一緒にいたりするから書いてある内容はほとんど知っていることも。

それでも同じ出来事を違うように感じているのを知れたりして楽しかった。

昔から人の日記を読むのが好き。今もブログやエッセイを読むのが好きだ。

 

それで、同じ人のブログを何度も読ませてもらっていると勝手に知り合いのような気がしてきてしまう。

妙な親近感が沸く。顔も住んでいる場所も、性別すらも知らない相手だったとしても。

ブログの中で今日買った物なんかが紹介されていると、相手のことは何も知らないのに買い物の中身は知っているという不思議な現象が起こる。

 

昨日は寝つけなくて珍しく日付けが変わっても起きていた。

はてなブログを徘徊していたら、なんだか懐かしい感覚になって

「あ、これって小学生の時の交換日記を待っている時間だ」と気付いたのだ。

 

みんなにとってのブログってどんなポジションにいるんだろう。

 

 

 

忘れられないポエムがあるんだ

最近はもうスマホ1つあれば何でもできる時代なので、手帳も買わなくなってしまった。

学生の頃は毎年吟味して買っていたけれど、書き込む予定は友達と遊ぶ約束やバイトくらい。それでも1年間を共にするので納得のいく可愛いものが欲しくて、お店をいくつも回った思い出がある。結局最後の方はまともに予定なんて書いてなかったりするんだけど。

 

中学生の時に近所の雑貨屋さんで買った手帳が忘れられない。

表紙が夕焼けの写真になっているんだけど、そこにポエムが書いてあった。

出だしはこう。

『この切ない気持ちはなんだろう

 あなたのことを思うたびに 締め付けられる私の心

 この想いがあなたに届きますように』

この続きがもう少しあったはずなんだけれど、うろ覚えだ。

最後の一文は

『早くあなたに会いたい』

だったはずだ。

これにすごく衝撃を受けた。うまく表現できないんだけれど、多分感動したんだと思う。心が揺さぶられる感じ。

その夕焼けの色合いと文章があまりにもマッチしていて、一目ぼれした。

手帳の中にもいくつか短いポエムが書いてあり、それに似合うような小さなイラストが描いてあったと思うけど思い出せない。

ただ表紙のインパクトだけは強くて、今も心に残っている。

文章で感動した初めての瞬間だった。

翌年も同じものを買おうとしたが、その雑貨屋には同じシリーズのものは売られていなくてあきらめた。

 

あれを書いたのは誰だったんだろう。その頃は作者を調べるなんて考えはなくて、そもそもこんなに何年も忘れられなくなるなんて想像していなかった。

手帳のどこかに作者の名前が書いてあったんだろうか。

あの表紙だけでも捨てずにおいたらと後悔している。

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いつかどこかでまた巡り合えたらいいな。

 

乙女の純情をもてあそんではいけません

23歳くらいの頃、ひょんな事から同じ高校だった男の子と連絡を取り合うようになった。

同じ高校の隣のクラスだった子。爽やかなスポーツマンで女の子からの人気もあった。特に接点はなくて、廊下で見かけるから顔と名前が一致するくらいの関係。

その彼、A君(仮)が何故か私にSNS上でメッセージを送ってきたのだ。内容はごくごく普通な「久しぶり。元気?俺のことわかる?」みたいな感じのもの。

わかるけど、何故メッセージをくれたのかがわからない。

それでも学校で人気のあったA君からの連絡には心躍ってしまったし、SNS上だけの付き合いかもと思い無難な返答をした。

私の何の面白みもないメッセージにも丁寧に返事をくれる。A君は見た目に違わず礼儀正しくて優しかった。それから意外と頻繁にやり取りをするように。そして1か月が経ったころ「もし良かったらご飯でも」と誘われたのだ。

・・・これは、もしかして、そういう感じ?

お互いに恋人はいないという事を確認してからご飯に行くことに。

気軽に遊びに行けるような異性の友人のいない私は大いに動揺し、無駄にめかしこんで行った。もしかしたら同窓会的な集まりに呼んでくれただけの可能性を考え、冷静に冷静にと自分に言い聞かせる。

待ち合わせ場所に先に来ていたA君は1人だった。記憶の中のままの爽やかな笑顔で私をエスコートしお店まで案内してくれた。そして2人でご飯を食べ、帰りは駅まで送ってくれて爽やかな笑顔で去って行った。その後もA君はよく連絡をくれたし、恋愛に発展する様子はなかったけれど素敵な友達ができて素直に嬉しかった。A君は筋トレが趣味のようで、私のダイエットの相談にも親切にのってくれたし、スキンケアの話題なんかも詳しくて盛り上がった。

3回目のご飯に誘われた時、「連れて行きたい人がいるんだけどいいかな?」と。誰だろう。さっぱり見当がつかない。聞いてみるとA君の大学生時代の先輩とのこと。どうやらA君の尊敬している先輩で、すごく良い人だから会ってみて欲しいと言うのだ。ここでもアホな私は、彼氏のいない私にA君の知り合いを紹介してくれるという事だと思っていた。クリスマスの近い時期だったので浮かれていたんだと思う。

そんな浮かれた状態の私に向かってA君は「すごくカッコいい先輩でさ、色んな知識もあるんだよ。優しいしめっちゃ良い人だよ!実はその先輩から紹介されたサプリメントがあるんだけど、俺それ飲んでから体の調子がすげー良いんだよね。宵闇の夜さんも美容に興味あるって言ってたよね?肌にも良いみたいだからぜひ紹介したくて~・・ダイエットにも~・・」と電話口で丁寧に説明をしてくれた。

あー・・なるほどね。はいはいはい。サプリメントね。え、私、サプリメント欲しいなんて言ったことあったっけ?これって、もしかしてマルチ商法ってやつなんじゃ・・。

頭から冷水を浴びせられるとはこの事だなと思った。やばいぞ、と。どうやって切り抜けようかな、と。とりあえずその日は適当な相槌で電話を切り、後日メールでサプリメントには興味がないから購入はできないとハッキリ伝えた。そういうの無しならまたご飯にも行きたいし、その先輩もぜひご一緒にと書き添えて。A君からは「そっか!わかったよ。ありがとう」とあっさりした返事が来たのでホッとしたが、もちろんその後は連絡も来なくなり3回目のご飯は実現しなかった。

後から考えれば同じ学校だったから最初からある程度の信用があるという事、でも共通の友達はいない事、そもそも私に友達が少ないという事が狙いやすいポイントだったのだと思う。

それからA君とは一切連絡を取っていないので彼の真意はわからない。もしかしたら本当に良いサプリメントを純度100%の親切心で紹介しようとしてくれていたのかもしれない。

 

その他にも選挙権を得た年齢になった途端に、卒業アルバムの住所を見て家まで訪ねてきた同級生もいたな。

相手から近づいてきてくれると嬉しいけれど、こういった経験が増えるたびに身構えてしまうようになる。そして人を疑うようになり、純真な心はなくなっていくのだ。

乙女の純情はもてあそんではいけません。

会話の難しさを考える

今日は久しぶりに雨が降るみたいで、湿度が保たれることに安心すると共に頭痛に悩まされる。気圧が低くなるとどうもダメみたいだ。頭痛薬をホットミルクで流し込む。

ホットミルクを飲む自分を客観視してみると似合わないなと思う。

日中もだいぶ風が冷たくなってきて、そろそろ冬を感じている。立冬はとうに過ぎていたけれど、暖かい日が続いていたから秋を長く感じていた。

 

最近夫がゲーム配信をしていて、声でのやり取りって良いなと思った。会話をしましょうと言われたら身構えてしまうのだけど、一方的に聞いたり話したりする分なら良いのかもしれない。

twitterでもスペース??とかいう機能だと声が聴けるのかな?twitterも全然活用できていないから良く理解できていない。Instagramもやってみたことはあったけれど長く続かなかった。FaceBookはやっていない。mixiは流行っていた頃にやってたかな。懐かしいね。やってた人いる?20代はmixi自体を知らないと聞いてビックリした。

 

ネット上でもリアルでも、大勢での会話がうまくできない。話はちゃんと聞いているんだけど、自分が話すタイミングに悩むというか・・話すぎちゃったなと反省することが多いから気を付けている。

自分が話すことで会話の流れを止めてしまう気がして嫌なのもある。そうこう考えるうちに相槌と笑うくらいしかできていない時があって、それはそれで変な空気になる。『仲良くなりたければ自己開示しましょう』なんて読んだことがあるけれど、それって相手が自分に興味がない場合でも成立する?『自分の話3割、相手の話7割』とかも皆そんなこと考えて会話してるの?お互いがその割合を考えていたら、3割同士であと4割足りなくなる気がする。その4割はどうやって埋めていくんだろう。

 

仕事を辞めてからますます会話下手に拍車がかかっている気がする。身内同士のおしゃべりは心地良いし楽しいけれど、それに甘やかされている自分を感じる。