ドーナツホールから見える宵闇

なんとなく思ったことを書いてます

塗るのも綺麗、塗らないのも綺麗

高校生の頃、ネイルアートに憧れて色んなマニキュアを集めていた。ネイルサロンなんて敷居が高くて行けなかったので雑誌に載っているものを真似しながら塗りたくる。

爪楊枝の頭を使ってドット柄にしたり、ラメのグラデーションにしたり。

足の爪は派手な色が映えると思っていたので深紅や黒、紺色にすることが多かった。

今ほど速乾性のものはなかったから乾くまで動けなくて大変な思いをしたり、塗り終わった途端に宅急便が届いたりして慌てることも。

 

大人になってからは職業柄、手にはマニキュアができなかったのでますます足の方が派手になっていった。ネイルサロンの敷居は未だに越えられていない。

ネイルシールも進化していって、自己流でもそれなりに満足できたのだ。

 

ある日、久しぶりに何の色も乗っていない自分の足の爪を見た時に「あ、こっちの方が綺麗だったな」と気付いた。

私の足の形は結構歪で、純粋に形だけ見たらとても綺麗ではないんだけど。その時は綺麗だなって思えたのだ。

それからは何も塗らなくなってしまった。夏になるとサンダルを履いたときに色がないのが寂しくも感じるんだけど、お風呂上りに見るのは自爪の方が良い。

 

こうやって段々と好みが変わっていったり、自分の本当に好きなものがわかっていったりする。そしてその方向にシフトチェンジしていくのだが、それが他人に受け入れられないこともある。

自分の変化は案外、自分よりも回りが否定してくるものだ。

回りが変わっていくことはきっと怖く感じるのだろう。

 

エッセイストへの道(1人遊び)

文章を書く仕事を目標にしているけれど、具体的にはエッセイを書きたい。

自分がエッセイを読んで大笑いしたり救われた経験があるからだ。誰かを1人ぼっちにしないような文章を書けるようになりたいと思っている。

口先だけで文章力は伴っていないし、今までも「仕事が忙しい」と言い訳をして何もしてこなかった。少しでも文章力の向上と、色んな人の文章に触れたいと思いブログを開設したんだけれど、この次は何をすべきか。

ブログは楽しい。書ける時と書けない時の差が激しいけれど、毎日1行でも何かを書くことを目標にしている。でもそれだけでいいのか最近考える。

公募に挑戦とかしてみるのも良いかもしれない。与えられたお題に沿って書くという経験はなかったから、色々学べる事が増えるかも。

 

3年程前にシナリオライターの短期スクールのようなものに通っていた事がある。何でも良いからプロの講義を聞いてみたかったのと、書く仲間というか友達ができたらいいなと思って。通い始めてすぐにコロナが流行ってしまい、電車に乗ったり人混みに行くのが怖くなり途中で辞めてしまった。通信で続ければ良かったのだけれど、家に1人でいると怠け者の血が騒ぎダレてしまったのだ。

 

同人活動とかも良い刺激になるんだろうなと思う。といっても、売りたいわけじゃない(売れるわけもない)からちょっと違うかもしれない。ぱっと調べた感じだとコピー本っていうのかな。1冊だけでいいんだよね。自分用だけ。誰に見せるわけでもなく、完全な自己満足のためにコピー本を作る。想像したらかなり楽しそう。

勝手に締め切りとか設定して売れっ子エッセイストになり切って書くのはどうだろうか。編集者からの催促メールも自作自演する。「すみません。あと2日ください」とか締め切りを伸ばす交渉して一人旅に出ちゃう。由比ガ浜あたりで黄昏れていると編集者(自分)から追い打ちメールとか届いてため息つく・・みたいな。すごい、ごっこ遊びが楽しすぎる。カバー内側に乗せる小さな顔写真も撮っておかなければ。

そろそろ変身しそう

ついにきた!!

私の顎の下に第二の顎が形成された!


昨日1人ダンスパーティーをしていた時に、ふと鏡を見て気づいた。あ、顎がもう一つある…。これが二重顎というやつか。

「私、下半身太りタイプで、上の方は太らないんですよねー」なんて言っていた過去の自分に教えたい。上もちゃんと太るよ、と。


これどうしようか。筋トレとか有酸素運動とかそういうので何とかなるやつ?

このお肉がほっぺまで移動して綺麗な丸顔になったりしないの?

年齢を重ねると肉の付く場所が変わるというのは本当だった。

二重顎には驚いてしまったけれど、もう痩せる気はない。痩せる気というか、食事制限をする気がない。

多少太っていてもハッピーに見えるようになるのが目標だ!


私が考えるハッピーに見える人の特徴は

1、笑顔

2、顔を隠さない髪型

3、頬や唇の血色が良い

4、服や持ち物が明るい色が多い

5、話す時に口がしっかり動く

なんてのがある。

これの他に『ボディラインの出る服を着る』というのも性格が明るく見えそうな要素だと思っているんだけど、なんでだろう。関係あるような、ないような。

どうでしょうかね?

省エネモードの日

なんだか今日はやる気が出ない。そんな日あるよねー?

午前中はラジオ体操してみたり、洗面台の掃除をしてみたり、いつもとは違うスーパーに行ってみたりと色々してみる。

でもなんか気が乗らないなぁと言う感じ。

こういう日はね、まぁ無理してもしょうがないので老犬をつれてお散歩へ。

散歩と言っても老犬はもう歩く気がほぼないので、近くの公園に行きひたすら日光浴をする。風は冷たいけど日差しはまだ暖かくて気持ちが良い。

帰ってきてからは好きな音楽をかけてひたすら踊る。汗かくほど躍る。そうしたら少し気分が上がってきたのでこれからお夕飯作ります。

破天荒に憧れて

突拍子もないような事をやる人が好きだ。

こちらの予想を遥か裏切って、常識なんて眼中にない。「もう一回言って」と思わず聞き返してしまうような事をやる人。そして聞き返しても結局理解できないような事をやる人。

もちろん人を傷つけたり迷惑をかけたりするのはダメだけど、そうでないのなら回りが驚くような事をしている方が面白い。

ある日突然海外に行ってしまうような行動力とか。それが日本人が少ないような地域だったらさらに面白いなと思う。

 

そういう人が好きで憧れている。という私自身は正反対のタイプだ。基本は保守的。守りこそ最大の攻めとまでは思っていないけれど、1つの窓に2つの鍵を付けるタイプ。

そんな自分にもどかしくなる時がある。もっと思い切って色々行動したらいいのかも、と。それで思い切った事とは何だろうと考えてみたんだけれど、坊主にするくらいしか思いつかず。私ってなんてつまらない女なんだ、とほんの少し絶望を味わった。

 

私には歳の離れた姉がいる。彼女はまあまあ破天荒な人だ。姉は高校生の時、夏休みにアメリカへ旅行に行った。そして2週間後に金髪になって帰ってきた。その当時、私はまだ小学生。姉がツアーではなく、何の頼りもない海外へ行き(英語も話せない)、さらに現地の美容室で金髪になって帰ってくるなんて思いもしなかった。玄関を開けた時に笑顔で金髪になっている姉を見て、母が絶句していたのを覚えている。

それから車の免許を取ってすぐに左ハンドルの車を借りて高速道路のドライブに行ったりとか。なんていうか、サンバでも聴いて年中踊っていそうな人だ。とにかく話題に事欠かない。

同じ環境で育ったのに何故こうも性格が違うのだろう。同じ物を食べ、同じシャンプーを使い、同じテレビ番組を観ていたはずなのに。

性格というのは持って生まれた要素と育つ環境、どちらの影響が大きいのだろうか。

 

少し昨日のブログの続きになってしまうんだけれど、見た目が与える印象は自分自身の性格にも影響を与えるのだろうか?

たとえば普段はコンサバティブな服装をしている人にめちゃくちゃギャルな恰好をさせたら?メイクも180度変えてみたら?鏡に映る自分を見るたびに自分自身に影響を受けて、立ち振る舞いや口調、思考、行動まで変化すると思う?逆もまた然りだと思う?

 

以前働いていた職場の先輩に自称・霊感のある人がいて、不思議なことが大好きな私はよく体験談を聞かせてもらった。

その先輩に言われて何となく心に残っているのは「宵闇の夜はもっと明るく見える恰好をしておいた方がいい」というものだ。え?そんなに暗そう?と思い笑ってしまった。そのあとしばらく髪の色を明るくしたら褒めてくれたっけな。

華やかな装いはどちらかというと似合わないと自負しているんだけど、もっとよく話を聞いておけばよかった。

 

過去一思い切った行動って何だった?

目標は、ゆ、ゆるふわ…なので

ルッキズムなんて言葉が今年の流行語大賞にノミネートされていて驚いた。

 

見た目が与えるパワーは強いと思っている。それは顔の黄金比率がどうとか、細い方が良いとかではなくて。自分の精神状態が安定していられるか、において重要だと思っている。

やっぱり肌の調子が良ければ気分が上がるし、お気に入りの服を着れば外に出たくなる。髪が上手にまとめられた日なんかも1日ご機嫌だ。例えそれが流行りとは違っていても。

 

それで、実は9月から洋服を買わないチャレンジをしている。

毎月のように服を買い、毎日鏡の前で首をひねることに疲れてしまった。毎月買うのに、毎月「着る服がない」なんて言っているから不思議。

同じように悩んでいる人は結構多いみたいで、調べてみると『服を半年買わないチャレンジ』とか『プロジェクト33(クローゼットの中のアイテムを33個に決める)』とか色々あるみたいだけれど(正しい名称でなかったらごめんなさい)とりあえずキリよく今年はもう買わないと決めた。細かく書くと下着や靴下類は購入OKにしている。

 

昨日はクローゼットをひっくり返して組み合わせを考えていたんだけれど、これが中々難しい。

上下共にゆるい組み合わせでも有りだと思う?身長157cmの洋梨体型、脚は短め。それで上も下もゆるめサイズだとバランスおかしいかな?

足下もスニーカーだからなのかカジュアルすぎる印象になってしまう。インターネットの海を見渡せば『ゆる×ゆる×スニーカー』でもしっかり可愛い人はたくさんいるのに、私がやると公園で遊ぶ小学生のような印象になる。

ヒールの高い靴を履いたら解決しそうな気もするんだけれど、もう履きたくないのだ。 

欲を言えば無印良品の服を着こなすようなお洒落な人になりたい。

 

去年は何をどう着ていたんだっけ?多分毎日「なんか違うー」とか言いながらコートで隠して出勤していた。

試着して気に入って買ったはずなのに、家に帰るとコーディネートがうまくできない。翌月にはまた「着る服がない」とか口から出ている。

この現象に名前をつけてほしい。

社交辞令の見極め方

職場では“真面目だね”と形容されることが多かった(多分、悪い意味で)。

言われた事を真正面からドンと受け止めてしまいがちなので、冗談に気付けない事も度々。

そんな私が苦手なのは「今度飲みに(ご飯食べに)行きましょうよ」だ。

もともとお酒の場が苦手とか、そもそもアルコールを飲みたくないとかは置いておいて、あれ8割は挨拶の締めの句みたいなもんなんだねってこと。

実際に私は夫と出会って間もない頃に、夫から言われた「みんなで飲みに行きましょう!来月あたりに!」という社交辞令を真に受けて、翌月の予定を調整していた。しかし待てど暮らせど飲み会の連絡はなく、その月の終わりになってようやく「あ!あれ社交辞令か!」と気付いたのだ。

他にも「ご飯行きましょう」「飲みに行きましょう」と顔を合わせるたびに言ってくるのに、4年間何もなく部署移動していった人たちなどもいた。

 

あれ必要なのかな?いらなくない?本当に飲みに行きたいと思っていないなら、言わない方がお互いのためだと思う。それは私がひねくれているのだろうか?

というのも、お誘いは挨拶みたいなものなんだ。という認識をしてしまい、言われるたびに「行きましょう!」と答えていたら、後に本当にお誘い頂いて困ったこともあるからだ。

 

「来月ご飯に行きましょう」と言われた時に、実際に誘われていると受け取って「いや来月はちょっと忙しくて…」と返したとする。それがもし相手にとってはただの社交辞令ならば「うわっ本気にされちゃったよ」と思われないだろうか。8割はただの挨拶だもんね?

また社交辞令だと思い「はい!是非行きたいです」と答えたものの、残り2割の方でいざ誘われたとして「いや実は今月は忙しくてですね…」とお断りするようなことになれば「なんだなんだ。是非と言っておきながら断るのか」と気分を悪くさせたりしないだろうか。

どっちに返答しても、ちょっと後が心配になる。

 

私の対応策としては「今度ご飯行きましょう」に対して「あー行きたいですね」と返すようにしている。『行きたい気持ちはあるけれど、行けない可能性が高いんです』を匂わせているつもりなんだけれど、どうだろうか。

これなら社交辞令だった場合でもおかしな返答ではないと思っている。

 

みんなはどうやって見極めているのだろう。