ドーナツホールから見える宵闇

なんとなく思ったことを書いてます

失くした感情は大切なのかもしれない

人と人との間に見えないモノがあって。それは“空気感”でも“テレパシー”でも名称は何でもいいんだけど。

ふっと沈黙が落ちた瞬間に「仲良くなれそうだな」とか「あー嫌われちゃったかな」とか感じたりする。

伝えたいことは言葉に乗せているはずなのに、本音が浮き彫りになるのは沈黙の時だ。

 

愛想笑いって何となく分かるし、バレる。目が笑っていないし笑い声が単調だ。

怒っているかどうかが背中から伝わってきたりする。

机をタップする指先に苛立ちを見つけ、歪む唇に嘲笑を読み取る。

つま先が出口を向いているから早く帰りたいんだな、とか。

そうやってちょっとしたサインを拾い上げて予想する相手の気持ち。

それが正しいのかなんて答え合わせはできない。

 

関係が浅い人同士なのに、黙っていても心地良い空気が流れる時と、そうでない時は何が違うんだろう。

隣に座った時、自然と緊張してしまう相手と良い感じに力が抜ける人がいる。

自分の中で居心地が良い人を判断しているんだろうけど、その判断材料は不明だ。

そしてそれは相手からしたら同じ気持ちではなかったりするから、相性とはまた別の話なのかなと思う。

私は感が悪い方なので、人の好意や悪意を見分けるのが苦手だ。

嫌われてる・・と思っていた相手から実は好意的に思われていたり、逆もあったりで難しい。

 

世界中の人類全てから“嫌い”という感情を失くしてみてはどうだろうか。

好きか、好きじゃないかだけ。

そうしたら結構平和な毎日が送れたりしないのかな。

嫌われるのはもちろんツライけれど、嫌いな相手がいるというのもツライんだと思う。

だから、そういう感情は失くしてしまう。

そしたら今度はどんなデメリットが生じるんだろう。

きっと色んな事に生命を守るシステムが組み込まれているんだと思うんだけど

“嫌い”も自分を守るためのシステムの一部なんだとは思うんだけど

失くなってもいいなと思ってしまうの。

そんな私は浅はかでしょうか。