ドーナツホールから見える宵闇

なんとなく思ったことを書いてます

正しくない私の理論

どこか遠くに行きたいと思うのに、行く当てがない時はどうしたらいいのだろう。

会える人もいなくて、話せる人もいなくて、行きたい場所も思いつかず、それでもとにかく“遠く”を求めてしまう時。

 

私たちはどこに行き何をすべきなんだろう。

 

 

書き殴っても書き殴っても収まらない衝動はどう扱えばいいのだろう。

整理されるはずの思考は脳内で溢れ返り、あれもそれもと出てくるばかりだ。感情を消化できる日なんて本当に来るのだろうか。

 

 

「何かを変えたい」“何か”ってなんだ。

決定的に私に足りないものはなんだ。

足りないと思いこんでいるものは?

 

 

「今ある物に目を向けろ」「日々に感謝しなさい」なんて人に言われるほど鬱陶しい事はない。

 

ある物に目を向けられる日もある。日々に感謝している日もある。

それと同じように渇望してしまう日もある。

ただそれだけの事じゃないか。ないモノねだりは罪なのか。考えこむことは罪なのか。矛盾することは罪なのか。ネガティブを嫌うな。絶望を嫌うな。“愛”なんてそんな一言で片付けないで。

 

 

いつだって皆んな手を伸ばしているんだと思っている。

その手を掴んだり掴まれたり振り払われたり隠したり見えないフリされたり注目されたりしているんじゃないのか。

下を向きながら挙手をしている人だっているんじゃないのか。

 

 

私は間違ったことを言っているだろう。でも、私が正しかったことなんて今まであったんだろうか。

 

 

この記事は消すかもしれない。私は今とても恥ずかしいもの。