ドーナツホールから見える宵闇

なんとなく思ったことを書いてます

お礼は手書きで

何度か書いたことがあるんだけれど、私は人付き合いが苦手で気軽に連絡を取り合うような友達も少ない。

1人が気楽だと思っているくせに、心のどこかでは誰かとの会話を求めてしまうようで、私は膨大な時間を持て余しこのブログを始めた。

ただ自分の思いを一方的に吐き出すようなものばかり書いているけれど、反応を頂けることもあってそれがとても嬉しい。

嬉しさのあまり、結構毎回小躍りしている。

 

以前、お礼にと手書きのカードを頂いたことがある。その人との関わりはなくなってしまったんだけれど、そのカードはまだ大切にしまってある。

少しでも嬉しさが伝わればいいなと思い手書きに挑戦してみた。

 

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伝わった?

 

ミステリアスなヒーロー

信号のない横断歩道を渡ろうした時、右からバイクが来た。そのバイクは横断歩道手前で止まり、こちらを見て“うん”と一つ頷いてくれた。

「先に渡っていいよ」ということなんだろうと思い会釈をして小走りで渡らせてもらった。

え、カッコよすぎじゃん。

横断歩道を渡り切ってから振り返る。アクセルを吹かして風のように去っていった。

え、カッコよすぎじゃん。

まったく同じ感想しか出てこない。

フルフェイスのヘルメットをしていたので顔はさっぱり分からない。服装もライダーらしいしっかりとした長袖長ズボンに手袋で肌が露出しているところは一切無かった。体格からおそらく男性だと思うがそれも自信はない。背の高い女性かもしれない。年齢も雰囲気も何もわからないが、とにかくカッコよかった。

 

個人的に人の顔は見えていない方が素敵に思えてしまう。声も聞こえていない方が素敵に思えてしまう。“見えない”、“分からない”というのは魅力を最大限に引き出すような気がする。

謎めいた存在というのだろうか。戦隊モノでも赤レンジャーより敵か味方かわからないような黒レンジャーに憧れたものだ。アンパンマンならロールパンナちゃんかな。一匹オオカミな立ち位置もまた魅力的に見える要素かもしれない。

 

見えない方が素敵派の私なんだけれど、好きな作家さんの顔は見たくなる。

本のカバーの内側に作者の顔写真が載っていると嬉しくなる。親近感がぐっと湧く。あれは文庫本だけなの?ハードカバーの本だと載っていないことが多い気がする。

もしも私が本を出す立場になったら写真は載せるだろうか?載せたい気持ちと、自信の無さが葛藤して多分雰囲気美人風な写真にするだろう。顔の一部だけとか。(今のアイコンもそれを全力で目指して作った。そろそろ変えたい)

 

皆様は顔写真載せる派ですか?

ネイビーブルーの夜に

夜の散歩に無性に行きたくなる時がある。

基本的に夜を恐れていて、日が沈むと外に出たくないと思っているんだけど。

決して暗所恐怖症ではない。眠る時は電気を全て消す派だ。ただ夜ってなんとなく心細くなるでしょ?

それでも時々夜に歩きたくなる。できれば東京駅とかスカイツリー周辺とかちょっと明るくて綺麗なところ。上野公園なんかも良い。東京タワーの周りは結構暗い印象なんだけど、もう何年も行ってないから今はどうなんだろう。


ただ当てもなく、暖かい飲み物なんかを片手に歩けたら良い。スポーツウェアじゃなくて部屋着に近いくらいラフな格好で。お気に入りの曲を聴きながらでも良いし、街の音に耳を澄ましても良い。

夏の生ぬるい風も好きだけど秋の澄んだ空気も好き。結局なんでも好きなんだと思う。

 

そんな風に散歩をしていると時々自分の年齢が分からなくなる。分からないというか、忘れるというか、どうでもよくなる。年齢に限らずステータス全てが。SNSでプロフィールに書くようなこと全てが嘘だったような気がしてくる。

そしてどこまでも歩いて行けるような気にもなる。常に運動不足のくせに。

結果、歩き過ぎて途中でバテたりもする。行きは雰囲気に浸ってセンチメンタルな事を考えていたりもするんだけど、帰り道は「なんでここまで歩いてきちゃったんだろう」って軽い後悔と疲労感で現実に返る。

家に着く頃にはもうセンチメンタルは吹き飛んでいて、やけにスッキリとした思考と脚の疲労感が心地いい。

 

もやもやしていても、していなくても、当てのない散歩は頭の中に風通しをするような爽快感がある。私はだいたい歩いている時にブログの文章を思いついたりするんだけど、皆様はどうでしょうか?

1人で歩いていても同じ夜の中で同じような人がいる、と想像すると寂しくなんかない。

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嫌いなものは私の世界から消してしまおう

もうブラジャー廃止しない?付けたくない人みんなで「せーのっ!!」ってやめたら怖くない。

長時間付けているのが本当に苦痛。ちゃんとお店でサイズを計ってもらって試着もしている。その上で“ラク”を売りにした製品を探して色々購入してきたけれど、最終的に1日を終えて家に帰る道中には「早く外したい!!」と叫びたくなる。

 

私には無理なんじゃないかな。いくら美しいシルエットを手に入れるためとはいえ、この先何年もこれを着け続けるなんて。ホールド感が気持ち悪く感じてしまう。

そもそも身体にフィットする感覚が好きになれないのだ。手袋も5本指のものは使えない。指一本一本が包まれる感触が苦手でミトンタイプを使っている。

しかしブラジャーはゆるければ良いわけじゃないのが難しいところ。フィットしていないのも気持ちが悪い。動くたびに肌に擦れるレースとか、しょっちゅう落ちてくる肩紐とか、パットがかぱかぱ浮く感じがうざったいのだ。

 

そして洗濯がめんどくさい。良いやつだと手洗い推奨されるし干す時も形が崩れないように気を遣う。私はマメではないので洗濯ネットに入れて普通に洗濯機で回してしまう。手洗いをしていないから比較はできないんだけど、私の管理が悪いせいかすぐに毛玉ができるしレースはよれる。なんだかとっても面倒くさい。

 

一度思い切って全て捨ててしまおうかと考えることがある。翌日困る事が分かっているからそんな事はしないけれど。

 

どうしてノーブラはダメなんだろう?女同士でも向こうから歩いてくる人が明らかにノーブラだと何となく気まずい。目線をそらしてしまう。見てはいけないものを見たような。

海外だと付けてない人も多いと聞いたことがあるけど本当だろうか。もし本当ならやっぱり私は海外に行くべきだ。

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座右の銘を晒せ

座右の銘は“正しい事より親切な事を”だ。人に優しくありたい、人を大事にできる人でありたい。そう願っている。とても難しいことだけれど。

 

何かが起こった時、咄嗟に手を差し伸べる事ができるだろうか。

私には自信がない。きっと一瞬躊躇するだろう。事によれば数日躊躇するかもしれない。

それはやっぱり保身を第一に考えているからなんだと思う。自分の身は自分で守らなくては。他の人を助けられる力なんてない。そんな考えが頭の片隅から顔を出す。だから面倒事には関わりたくない。なんて考えてしまう自分が悲しい。

 

人を大切にするってどうしたらいいの?優しくするってどういう事?

相手の立場に立って考えた結果、的外れな事をしてしまったら?

良かれと思ってやった事が裏目に出たら?余計なお世話だったら?

 

臆病な私の頭の中は言い訳でいっぱいだ。

 

20代前半の時、真冬の寒い中バスを待っていた事がある。冷たい風が容赦なくびゅうびゅう吹いて手や足先が冷たくなっていった。その時、同じくバスを待っていた1人のご婦人(70歳はとうに過ぎているように見えた)が待ちきれずタクシーを止めた。そしてタクシーに乗り込んだあと私を見て「お嬢さん、駅まで行くなら一緒にどうぞ」と声をかけてくれたのだ。お言葉に甘え同乗させて頂いた。駅に着いた時もお財布を出そうとする私を左手でさっと制し料金を払ってくれた。何度も頭を下げお礼を言う私に「こんなに寒い中待っていられないわよね」と笑いながら去って行った。カッコいい後ろ姿だった。

彼女のほぼ白くなっている髪は肩の上で柔らかいウェーブを作っていて、スキニーデニムを茶色のロングブーツにインしておりトレンチコートを羽織って首元にはラベンダー色のスカーフを巻いていた。

行動もカッコよければファッションもお洒落。粋な人とはああいう人のことなんだろう。

 

私もあんな風にスマートに行動できるだろうか。見ず知らずの人に声をかけるのはハードルが高いように思う。その分、そのハードルを乗り越えてきてくれた彼女の後ろ姿は忘れられないものとなっている。

“良い女”とはああいう女性のことだろう。

 

なちゅらるぼーん可愛いになりたい

今日観た映画でケーキを2つ食べているシーンがあった。それを観て「うわー2つはキツイなぁ」と思った自分に愕然としている。

昔から甘党でお菓子と共に生きてきたのだ。紅茶にもたっぷりのお砂糖を入れていたし、冬には紅茶花伝のミルクティーが必需品だった。栄養素を考えなくて良いのならば3食お菓子でいいと本気で思っていた10代の頃。

でも今はどうだろう?段々と紅茶はストレートに、チョコレートもカカオ70%の美味しさが分かるようになってきた。ケーキも1P食べたらもうたくさん。生クリームで胸やけする日もある。

20代前半の頃に先輩から「今のうちに沢山好きなものを食べたほうが良い。いずれ食べられなくなるから」と言われたことがある。

その時は食の好みが変わるという事だと思っていたが、そうではない事に気付いた。美味しいと感じているのに消化器官がついていかないのだ。すぐに肌や体調に影響する。これはちょっと切ない。アイスクリームもずいぶん食べなくなっちゃったな。

もう可愛い食べ物だけで生きていけない。肌のために朝から納豆とお味噌汁だし、飲み物は9割白湯。お豆腐にキムチとごま油をかけて食べることも多い。パスタやピザなんかの小麦粉製品は連日食べないように気を付けている。

 

“女”ってもっとこう甘くて可愛い食べ物と行動で生きていけるんだと思っていた。でもそんなことない。むしろ逆かもしれない。

今まで出会った可愛い子、綺麗な子はみんな努力していた。ヨガに通い、仕事の帰りにジムのプールでひと泳ぎ、パーソナルトレーナーをつけたり美容医療、脱毛で痛みと出費に耐える。すごい。すごすぎる。書き出していくとますますそのすごさが分かる。

私ももう少し頑張るべきとは思いつつも、こうしてPCの前に座り膝の上の猫を愛でている。

 

先日夫から「50歳になってもカッコいい、可愛い夫婦でいようね」と言われた。笑顔で頷いたものの大きなプレッシャーを感じている。

「失礼ですよ」を違う言葉で

実はとある出来事について書いた記事があったのだが、読み返してみるとあまりにも自分の器の小ささが露呈していたので恥ずかしくなって消した。

その記事で伝えたかったことは、失礼な事を言われた時にどう返したらいいのかわからないという事だ。

大体は苦笑いでやり過ごすか驚きで固まるかのどっちかになってしまう。できれば笑顔で釘を刺せるようになりたい。決して争いたいわけではない。ただ「失礼なこと言ってますよ」ということをオブラートに包んで伝えたいのだ。

今後咄嗟に反応できるように返答を考えてみた。

 

1.「そんなこと初めて言われました!」

純粋に驚いてみせる。そんな失礼なことを聞くのは貴方くらいですよ、の意。

 

2.「ドラマの見過ぎじゃないですか」

フィクションの世界ではあっても現実的なことではないですよ、の意。これは少し刺々しいかもしれない。

 

3.「考えたこともありませんでした」

考えるに値しない、の意。これも冷たい印象を与えてしまうかな。

 

どれもなんか、いまいち。できればその瞬間は和やかな雰囲気を崩さず、後から考えてみれば…くらいの隠れたパンチを繰り出したい。

もっとお洒落にクスッと笑えるような言い方はないだろうか。