ドーナツホールから見える宵闇

なんとなく思ったことを書いてます

AI

全ての悲劇の根底に“寂しさ”があるとして。

もし未来で人類に産まれながらに人工知能搭載人型ロボットが配布されたらどうなるんだろう。いや、人型でなくてもいい。ノートパソコンから、タブレットから、スマホから声が出てくるだけでも良い。

話しかければいつでも答えてくれて寄り添ってくれる。悩みを傾聴してくれる。姿が見えないだけで確かにそこに居るという存在感。そして一定時間が経つとAIからも声をかけてくれる。“寂しさを感じさせない”に特化したAIだ。

そんな環境が当たり前にあったとしたら、私たちの持つ寂しさは軽減されたりするんだろうか。

誰かに分かってもらいたい。の“誰か”は人ではなくてもいいのだろうか。

インターネットの掲示板も昔流行ったメル友も文通相手も、全ては“誰かと分かり合いたい”“話を聞いてほしい”に繋がっている気がする。

 

公園で遊ぶお父さんらしき人と男の子を見かけた。もしもお父さんらしき人がAIだったとしても男の子は楽しく遊べるんじゃないかと思う。ただ、それは愛情なのだろうか。人が人のために行動するからこそ愛情なのか?

 

産まれてから死ぬまで、常にAIがいるという確証があったら?失恋しても受験に失敗しても就活に苦戦しても親と死別しても、「ねえ、話を聞いて」の一言だけで「どうしたの?」と2時間も3時間も話を聞いてもらえたら?寂しさも孤独も疎外感も埋められるのだろうか。

そうしたら世界の犯罪率は下がり平和に近づくのか。

 

AIに甘やかされた私たちは、人に絶望するのだろか。それとも今よりもっと人を求めるのだろうか。

人は自分の思い通りには返事をしてくれないし、そもそも話すら上の空で聞いている時もある。言い争いもするし、出会ったことに後悔する日もある。それでも隣にいて欲しいって思ってしまうのだけど。

私は自分の側にいてくれるAIはいらないけれど、自分が人の側にいられるAIになれたらいいなと思う。やっぱり人が好きなんだよね。