ドーナツホールから見える宵闇

なんとなく思ったことを書いてます

もう一度手紙を送りたい相手

 

保育園のころからすごく仲が良かった友達がいた。

あだ名はあっちゃん。

 

目が大きくて肌の白い可愛い子だった。

 

私とあっちゃんはセーラームーンが大好きで一緒にセーラームーンごっこをしたり、ぬいぐるみで遊んだりしてた。

家も近かったしほとんど毎日一緒にいたと思う。喧嘩もたくさんした。でも次の日にはお互いケロっとして仲直りしてた。

 

そんなあっちゃんが小学3年生の夏休みの時に隣の県に引っ越ししてしまった。

お父さんの仕事の都合だったと記憶している。

真夏の暑い日、あっちゃんちの車が見えなくなるまで見送っていたのを覚えてる。

 

あんなに毎日一緒にいた子がいなくなるのはなんとも不思議で、でもそんなに悲しくなかった。また会えるって思ってたから。

 

実際、何回かあっちゃんのいる県まで家族で行って、あっちゃんちとキャンプをしたり家に泊まらせてもらったりしてた。

 

そして何より楽しかったは文通である。

 

手紙が届くどきどき感。便箋や切手を選ぶ楽しみ。毎日ポストを覗いてはあっちゃんからの手紙を待っていた。

 

お互いの学校のことやクラブ活動のこと。将来の夢。

なぜか恋愛の話題だけはなかったような気がする。

 

私は中学生になっても漫画やアニメが好きで、下手なりにイラストばかりを描いていた。

一方あっちゃんは声優になりたいと夢を持ち、演劇部に入っていた。

そうやって少しずつ興味のあるものが違っていって、なんとなく文通の回数も少なくなっていた。

 

私はその頃から友達付き合いで悩んでいることも多くて、充実している様子のあっちゃんに嫉妬していた部分もかなり大きい。

手紙の中でもだいぶ見栄の張ったことを書いてしまっていたと思う。

 

そして高校生になり、お互いに携帯電話を持つようになった。

文通からメル友にクラスチェンジしたのだ。

その頃はまだパケット定額制や無料通話アプリなんてなかったから、メール交換もたまにしかしなかったし電話も一度もしなかった。

 

それでも私はあっちゃんのことが大好きだった。

アルバイトを始めてお金がたまったら会いに行ってみようかなくらいには考えていた。

でもアルバイトで稼いだお金は慣れないメイク道具や漫画本、日々のおやつ代に消えていく。結局一度も会いに行かなかった。

 

 

ある日、私がバスを待っていたらあっちゃんから久しぶりにメールが届いた。

なんとそれは当時流行っていたチェーンメール、いわゆる不幸の手紙のメール版だったのだ。

『このメールを5人に転送しないと、このメールを転送しているすべての人の利用料金が請求されます』みたいな内容だった。

今考えると原理がさっぱりわからない。なぜメールを受け取っただけで関係のない人の利用料金まで払うことになるのか。どう考えても嘘だとわかる内容だが、嘘だと思いつつも高校生の私はおおいにびびった。おそらく、あっちゃんも怖くなったんだと思う。

気持ちはわかる。

 

そして猛烈に私は怒った。こんなメールを本気にして私に送り付けるなんてひどい。

そりゃ学校で会うこともないから送りやすい相手だったのはわかる。

それでも私だったら誰にも転送なんてしないのに。

 

そんなことをあっちゃんに返信し、私は彼女の連絡先を消去した。

あっちゃんは最後に謝ってくれていたのに、なぜか許すことができなかった。

 

すごく悲しかったんだと思う。私はあっちゃんを親友だと思っていたのに、あっちゃんにとったら私はチェンメを送りつける都合のいい相手だったのかと。

 

 

こうしてあっけなく私とあっちゃんの関係は終わってしまった。

 

 

あんなメール、笑い飛ばせば良かったのに。謝ってくれた時に許せば良かったのに。

思い切って電話してみれば良かったのに。会いたいと思っていたんだから会いに行けばよかったのに。

 

あれからもう20年近くたつ。最後にあっちゃんに会ったのはもっともっと前だ。

それでも今も思い出す。たまに会いたくなるし、手紙を送りたくなる。

もう彼女の住所も電話番号も忘れてしまったから、そのどれもができない。

 

私が文通をした相手は今までであっちゃんしかいない。

手書きの文字を読む楽しさはメールを読むのと全然違う。相手の温度が伝わる気がするのだ。

 

 

いま家のポストにはちらしや請求書くらいしか届かない。

それを時々、ものすごく寂しく感じるのだ。