ドーナツホールから見える宵闇

なんとなく思ったことを書いてます

スピリチュアルの世界を覗くとき

まず初めに、私に霊感とやらはない。今まで怖い体験も不思議な体験もないし

 

誰もいない場所で声を聞いたとか、気配を感じたりもない。

 

結構鈍い方なんだと思う。

 

 

そんな私も不思議な力や世界に憧れはある。

 

占いにハマったことだってあった。パワーストーンとやらを手首に付けていたこともある。今はその全てを信じていない。

 

否定はしないけど、肯定できるだけの体験が皆無なので仕方ない。

 

 

そんなまったくの霊感0の私が定期的にスピリチュアルの世界に興味を持つ時。

 

それはほぼ100%現実世界がうまくいっていない時だ。

 

うまくいっていないこの現状に何か特別な意味を見出したくなる。

 

それか今はたまたま運気が悪いから、来年になれば状況が良くなるとか、そういった希望にすがりたくなるんだと思う。

 

それで、状況が良くなったり、生理期間があけてホルモンが落ち着いたりすると調べたことや占いの結果なんてすっぽり頭からなくなっている。

 

占いは良いことしか信じない。よくある主義を私も貫いているが、そもそも良いことも悪いことも忘れている。

 

神社で引いたおみくじが大吉の場合、財布に入れて持っておく癖があるのだが、

 

昨日財布の整理をしていたら3枚もおみくじがでてきた。

 

その内容の全てを忘れている。改めて読んでみても「へえー。そうなんだ。」くらいの感想しか出てこない。

 

こんなんだから特別な力とやらを感じられないんだろうか。

 

人生の岐路に立った時、占いで決める人は何を根拠にしているんだろう。

 

たまたま引いたカード、たまたまいい方角にあったもの、それって全て偶然ではないの?

 

仮にその偶然がすごく低い確率で起きたことで、もう奇跡だよね、運命だよねって言われたとしても「ね!本当にすごい“偶然”だね!」って私は言ってしまいそう。

 

情緒が足りないのか?

 

 

引き寄せの法則が流行った時、私も書店へ走りその本を購入して実践した。

 

確かに、意識して生活していると今までの自分が見逃していた小さな幸せや気付きがあったと思う。

 

毎日意識して生きるって大変じゃない?私は引き寄せの法則の実験をしたときはすっごく疲れてしまった。

 

色んなことに意識を向けて、起こったことに意味を見出そうとしたり、自分の願いを強く考えたり。

 

そういうのって私にとったら自然な状態じゃない。私じゃないみたい。

 

 

もっと何も考えずに生きていきたい。毎日何となく過ぎていく。一日の一大イベントが夕食の献立を考える事。そんな感じがいい。(まあ料理は大嫌いだから献立考えるのはしんどいんですけど)

 

 

本当に霊視ができる人とかいたらぜひ話を聞いてみたい。色々見えちゃうのってしんどくないですか?見たくないものが見えた時はどうしてるんですか?運命ってあると思いますか?悲しい運命の場合はどうしたらいいと思いますか?

 

 

こんな私にもいつか天啓とやらがきたらいいなと密かに願っている。